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追悼スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(1923.10.3~2017.2.21)

スクロヴァチェフスキ

ポーランド出身の名指揮者、作曲家のスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ氏が亡くなりました。93歳でした。読売日本交響楽団の常任指揮者を務めるなど30回以上の来日で、日本の聴衆に最も親しまれた巨匠でした。彼の素晴らしい業績をCDとともに振り返ります。
(タワーレコード)

(1)生い立ち~アメリカでの成功
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキは1923年10月3日生まれ、ポーランド・リヴィウ(現・ウクライナ)出身の指揮者、作曲家です。4歳からピアノとヴァイオリンを始め、7歳で作曲を開始。11歳でピアノ・リサイタルを開催し、13歳でベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を指揮するという神童ぶりを発揮しました。ところが、第二次大戦中の空襲で手を負傷しピアニストを断念。戦後、ポーランド国内の主要楽団の指揮者を歴任後、1958年、ジョージ・セルに招かれてクリーヴランド管弦楽団に客演してアメリカにデビューします。たちまち、その驚くべき才能が米楽壇で認められるとともに、名前が長いため「ミスターS」の愛称で呼ばれるようになります。1960年にミネアポリス交響楽団(現:ミネソタ管弦楽団)の音楽監督に就任。以後、20年にわたって同ポストを務め、退任後は桂冠指揮者となりました。スクロヴァチェフスキの録音キャリアが始まったのも、このミネアポリス時代で米マーキュリーや米VOXに鮮烈なアンサンブルによる切れ味鋭い名演を残しています。そしてこれらの録音は、アナログ・ステレオの優秀録音としても知られています。

ミネソタ管弦楽団との録音

 

(2)ヨーロッパ音楽界への帰還
1979年、ミネソタ管弦楽団の音楽監督を退任した彼は、ヨーロッパでの指揮活動を本格化させます。ヨーロッパ各地のオーケストラへの客演を活発に行い、1984年から91年にはイギリスのハレ管弦楽団の首席指揮者を務めました。現在は廃盤となっていますが、デジタル録音初期にハレ管弦楽団とブラームスの交響曲全集を完成しています。1994年からはザールブリュッケン放送交響楽団(現:ザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィル)の首席客演指揮者に就任。彼が亡くなるまで深い関係を続け、演奏旅行に幾度も同行したほか、ベートーヴェン、シューマン、ブルックナーの交響曲全集を始めとする多くのCD録音を行いました。

ハレ管弦楽団との録音

 

ザールブリュッケン放送交響楽団との録音

 

ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団との録音

 

その他のヨーロッパのオーケストラとの録音

 

(3)日本の聴衆との絆
1978年、読売日本交響楽団の客演のために初来日。読響とは、その後2000年、2002年、2005年と共演を重ね、2007年から2010年まで第8代常任指揮者を務めました。2010年4月、読響初の桂冠名誉指揮者に就任しました。NHK交響楽団にも1996年の初登場以来、1999年、2000年、2002年、2004年、2006年、2011年と度々来演しました。ザールブリュッケン放送交響楽団とも3度来日しており、来日回数は実に30回を超えています。日本の愛好家に最も親しまれた巨匠指揮者、ということが言えるでしょう。

NHK交響楽団との録音

 

読売日本交響楽団との録音

 

 

(4)最後の時
2016年1月、92歳で来日し読売日本交響楽団とブルックナー:交響曲第8番の2回の公演を行い、センセーショナルな成功を収めました。その後、11月に脳梗塞を起し闘病していましたが、2017年2月21日、アメリカ・ミネアポリスの自宅で亡くなりました。93歳でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。
(タワーレコード)

カテゴリ : Classical

掲載: 2017年02月23日 00:00