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ジャック・ティボー晩年の貴重なライヴと放送録音が放送局オリジナル音源からCDとLPに!

ジャック・ティボー

音質のよさで定評あるターラレーベルがアルトゥスによる新マスタリングで復活。
鮮烈にして濃厚、録音の素晴らしさに驚愕!
とろける粋な美音、官能ヴァイオリン極北の至芸。
ライヴ編とセッション編、2タイトル同時発売!CDとLPは別リマスター。

ティボーの芸術1 ライヴ放送録音編
1.ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.61
2.モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
1.ヴィクトル・テザルツェンス(指揮)ローザンヌ室内管弦楽団
2.エドゥアルト・ファン・ベイヌム(指揮)アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 録音:1951年/ヌーシャテル(1) 1949年/アムステルダム(2)

左がCD、右がLPレコード

 

官能的な演奏がヴァイオリン愛好家にはたまらないティボー。ベートーヴェンの協奏曲はこれがおそらく唯一の録音であり、粋なカデンツァは必聴。そしてモーツァルトの協奏曲も大変面白い!テンポもリズムも崩れ落ち、オーケストラとは別次元でたゆたう極美のソロ。まるでとろけて無くなってしまいそうな、驚きのモーツァルトです。
(キングインターナショナル)

2曲ともティボー(1880~1953)が商業録音を残さなかった作品で、CD初出時に大いに話題となりました。ベートーヴェンの音質は年代並みで、ティボー独特の節回しが楽しめます。カデンツァ(作者不明)では重音奏法やポルタメントを駆使して幻想的で凄艶な世界を描き出しています。第2楽章のしみじみとした歌も美しく、終楽章は多彩な音色と自在なテンポ操作、粘ったリズムで、時折躓きながらも終結へ向け熱っぽい盛り上げを見せています。モーツァルトはアセテート盤からの復刻と思われノイズの目立つ箇所もありますが、ティボーの音は良く録れています。第1楽章からティボーは自在なテンポで弾いていて、真面目なベイヌムが付いていくのがやっと、というスリリングな演奏が展開されてゆきます。カデンツァ(ヨアヒム作)での濃厚な表情や終楽章での粋なリズムもティボーならではです。
(タワーレコード)

ティボーの芸術2 スタジオ放送録音編
1.ラロ:スペイン交響曲 ※第3楽章は当時の慣習によりカットされています
2.フランク:ヴァイオリン・ソナタ
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
1.ヴィンフリート・ツィリッヒ(指揮)ヘッセン放送交響楽団
2.ジャン・ラフォルジュ(ピアノ)
録音:1951年/フランクフルト(1) 1952年/ザールブリュッケン(2)

左がCD、右がLPレコード

 

スタジオ録音の良好な音質で堪能するティボーの至芸。高いピッチで張りのある音を響かせるヴァイオリンが強烈。「スペイン交響曲」の煌めく技巧には心が躍ります。フランクのソナタでのねっとりと妖艶な歌い回しもティボーならでは。興奮の演奏です。
(キングインターナショナル)

ラロの「スペイン交響曲」はティボーが最も得意とした作品でしたが、商業録音をすることなく亡くなりました。しかし、LP~CD時代になってアンセルメ、ストコフスキー、アルヘンタ、マルティノンらとのライヴ録音が発掘され、それぞれ発売時に大きな話題を呼びました。それらの中でこのツィリッヒとの1951年放送録音は音質が最も鮮明で、ティボーのコンディションも良く、ファンの注目を集めたものでした。更に素晴らしい音質となった今回の復刻盤も見逃すことができないものと言えるでしょう。フランクのヴァイオリン・ソナタも戦前にラッパ吹き込みと電気録音の2度録音したティボー得意の曲目ですが、戦後の商業録音は残しませんでした。ラフォルジュとの1952年放送録音は過去2度の録音に比べて音質が圧倒的に良く、ティボーも72歳とは思えない流麗な技巧を駆使して、以前よりも多彩かつ濃厚な表現を聴かせていて聴き応え十分です。
(タワーレコード)

ジャック・ティボー・プロフィール
 20世紀前半、フランス文化を体現するヴァイオリニストとして活躍したジャック・ティボー(1880.9.27~1953.9.1)は。フランス南西部の港町ボルドーで音楽教師をしていた父親のもとに生まれた。はじめピアノを学び、7歳の時にベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を聴いて感動したことをきかっけにヴァイオリンへ転向した。13歳でパリ音楽院に入学し、マルタン・ピエール・マルシック(1847~1924)に師事。同窓のジョルジュ・エネスコ(1881~1955)とは良きライヴァルとして生涯友情で結ばれることとなる。1896年、一等賞を獲得して音楽院を卒業したティボーは、はじめカフェ・ルージュの楽団で働いた。ある日、サン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」を弾いたところ、たまたま来店した指揮者エドゥアール・コロンヌ(1838~1910)に見出され、彼のオーケストラに引き抜かれた。1年後、風邪のコンサートマスターに代わってサン=サーンスのオラトリオ《大洪水》前奏曲のソロを弾き、アンコールを求められるほどの大成功を収めた。ティボーはその美しい容姿とあいまって、一夜にして「プランス・シャルマン」(お伽話に登場する若く美しい王子)と呼ばれる人気者となり、多くのソロ契約が舞い込むようになった。
 1898年、アンジェでソロ・デビューすると、短期間に50ものコンサートを開き、成功させた。1899年にはヘンリー・ウッド(1869~1944)指揮のプロムナード・コンサートでロンドンにデビュー。イギリスでも人気者となり、以後幾度となく訪れることとなる。1901年にはベルリン、1903年にはニューヨークにデビューした。1905年にはパリ音楽院時代からの学友アルフレッド・コルトー(1877~1962)、スペインの大チェリスト、パブロ:カザルス(1876~1973)と伝説的な三重奏団を組み、1933年まで活動を続けた。同じ年にはレコード録音(当時はラッパ吹き込み)を初めて行った。第一次世界大戦が勃発するとティボーは陸軍に従軍し幾度も戦闘に参加したが、幸い軽い怪我を負っただけで除隊となった。第一次大戦後は再び世界的な演奏活動に戻り、1928年には初来日し、1936年には2度目の来日を果たして日本の好楽家を喜ばせた。第二次大戦が始まり、やがてナチスがパリを占領すると、ティボーはパリに留まったもののドイツでの演奏にはきっぱりと断りを入れた。1943年にはピアニストのマルグリット・ロン(1874~1966)と、フランスの若手演奏家のために「ロン=ティボー・コンクール」を創設。占領下のパリで音楽面から人々を励ました。第二次大戦後も矍鑠と演奏活動を続け、1953年9月には3度目の訪日が決まった。ところが、その前に当時の仏領インドシナ、サイゴンでのフランス将兵慰問が割り込み、9月1日、ティボーはエール・フランス機でサイゴンへ出発。しかし、その飛行機がアルプス山脈のモン・スニに衝突、墜落して還らぬ人となった。72歳での悲劇的な死であった。
(板倉重雄)

カテゴリ : ニューリリース | タグ : クラシックLP 高音質(クラシック)

掲載: 2016年11月28日 10:00