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インタビュー

ORBITAL 『Wonky』



ブルーの彼方に巨星が去ってから早8年、大いなる軌道を巡って、ふたつの輝きがふたたび交わる時がきた。帰ってきたオービタルは、またしても普通じゃない!



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オービタルとは、〈セカンド・サマー・オブ・ラヴ〉の申し子だ。そもそもその名前は、彼らが通っていたレイヴ名から来ている。

パンクで育ち、レイヴに感化されたポールとフィルのハートノル兄弟は、ロンドンの食堂で働きながら曲作りに励んだ。89年、最初に作った曲“Chime”が海賊放送局のDJの目に留まり、1,000枚ほどプレスすると瞬く間に売れた。数週間後に大手レーベルと契約を交わすまで、そのホワイト盤は40ポンドで取り引きされるほどの評判となった。

音楽に専念するため兄弟が職場を離れるとき、失敗したらいつでも戻ってきていいんだと言われたというが、90年、2人の姿はTVの音楽番組「Top Of The Pops」の出演者のなかにあった。この時の彼らが反人頭税(家族の人数分の税金を取るという法案)のTシャツを着ていたことは語り草になっている。良い時代の良いエピソードのひとつだ。

「幸福なアマチュア時代だったね」と、ポールは回想する。「当時のダンス・ムーヴメントは素人によるものだった。会場には多くのサウンドシステムがあった。ある部屋ではハウス、ある部屋ではヒップホップ、トラヴェラーとかヒッピーっぽいパンク・ミュージックも流れてた。皆が入り混ざって、いっしょにダンスした。いろんなジャンルの人がいっしょに楽しく時を過ごしてたんだよ。本当に素晴らしかった。値段も安かったしね。とにかく最高な空間だった」。

オービタルはプロディジーやアンダーワールドといった連中に先駆けて成功したダンス・アクトである。楽天的な“Chime”はもちろんのこと、トランシーな“Halcyon”や“Lush 3”といった曲は、90年代前半の東京でもヒットした。日本のテクノ・シーンは93年の彼らの初来日から始まっているとも言えよう。

もっとも、彼らは毎回同じようなトランス・テクノを繰り返すことはなかった。94年の3作目『Snivilisation』以降の彼らはトランスから離れ、ブレイクビーツやアンビエントなどいろんな要素を貪欲に採り入れながら自分たちのスタイルを拡張した。ハートノル兄弟は、2004年の『Blue Album』までの15年間で、計7枚のオリジナル・アルバムを発表している。 『Wonky』は彼らにとって8年ぶりの新作だが、ダンス世代が一周したように、オービタルも若返ったようだ。「2010年にプラハでギグをやったら、18歳から20代前半のオーディエンスが多くてビックリした」とポール。

「でも待てよ、君たちって、俺たちが活動をスタートした時はまだ赤ん坊だったよな?って感じだったよ(笑)」。

こうしたライヴ活動が今回の制作の動機にもなっているという。

「実はこんなにライヴが続くなんて考えもしてなかった。最初は2、3回やって終わりだと思ってたのに、勢いが止まることはなかった。自分たちもエンジョイしていた。そのフィーリングを壊したくなくて、新しいトラックを作ることにした」。

「現代のダンス・シーンからは確実に影響を受けてるよ」と、ポールは続ける。「このアルバムからは、少しだけどダブステップの要素が感じられると思う」。

そればかりか、新作ではいま話題の才女、ゾーラ・ジーザスが1曲歌っているように、彼らの音楽は確実にアップデートされている。「ウォンキー(普通じゃない)って言葉が、オービタルの音楽を表してると思ったからこのタイトルになった」と、ポール自身がアルバムの内容を次のように言い表してくれた。

「オービタルはひとつのジャンルに囚われたことはない。ウォンキーなんだよ(笑)。俺たちはやりたいことをやって、作りたい音楽を作ってる。新作にはダブステップもあればグライムもあるし、昔のオービタルも残ってる。いろんな要素が詰まってる。その状態を表してるのが〈Wonky〉って言葉だ」。

いろんな要素が詰まってる——それってまさに、初期のレイヴのコンセプトではないか! 



▼『Wonky』に参加したアーティストの関連盤を紹介。

左から、ゾーラ・ジーザスの2011年作『Conatus』(Sacred Bones)、レディ・リーシャが客演しているPマネーの2009年作『Money Over Everyone』(Avalanche)

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2012年03月28日 00:00

更新: 2012年03月28日 00:00

ソース: bounce 342号(2011年3月25日発行号)

インタヴュー・文/野田 努

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