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映画『アデル、ブルーは熱い色』

カテゴリ
o-cha-no-ma CINEMA
公開
2014/03/24   10:00
ソース
intoxicate vol.108(2014年2月20日発行号)
テキスト
text : 北小路隆志




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© 2013- WILD BUNCH - QUAT’S SOUS FILMS – FRANCE 2 CINEMA – SCOPE PICTURES – RTBF (Télévision belge) - VERTIGO FILMS



眼差しの作法〜アブデラティフ・ケシシュ監督インタヴュー 

映画の冒頭近く、教師を目指す高校生のアデルが街角で青い髪の女性エマとすれ違う瞬間、『アデル、ブルーは熱い色』における眼差しのドラマ性が明らかになる。二人の人物の恋の芽生えを眼差しの交換で表現すること自体は映画の常套手段なわけだが、その後の二人の関係の深まりや揺らぎに関連しても眼差しが大いに意味を持ち、演出の一貫性に感嘆を覚えずにいられない。たとえば、画家であるエマがアデルをモデルにポートレートを描く際の眼差しにも、二人の関係性の推移が見事に予感されるのだ。

「眼差しの撮影には繊細な作業が必要です。カメラのアングル、光の当て方、どのように対象を見たいのか……。もちろん、エマとアデルは欲望の滲み出た視線を交わしますが、ポートレートを描く上ではアデルをオブジェやファンタズムの対象とし、実際の彼女から遊離した何かを創造し始めている。自分にとって必要な機能性をアデルに見出すようになり、そこに二人の関係性の亀裂が始まるのかもしれない。私自身についていえば、相手の質や人となりを知覚しようと努めることこそ、女優に向けた最初の眼差しであり、それが女優にとって救いの眼差しであることを願っています。相手を変えようとするのではなく、もともと彼女のなかにある崇高さを見つけ出すこと……」

昨年のカンヌ国際映画祭で監督だけでなく二人の主演女優にもパルムドール(最高賞)を贈られたというエピソードは、そんな監督の眼差しの確かさを立証するものだろう。ところで、本作での女優たちの演技で主に注目を浴びたのは、激しくも美しい性愛行為の執拗な描写においてであった。ただし、それもケシシュの仕事に一貫して見られる“身体”への関心の延長線上にあるものだろう。

「ポルノグラフィックであるとの指摘もありますが、身体をどこまで露出させれば猥褻で、どこまでならそうではないのか……などと考えたことはありません。何かを食べる人や笑う人の顔、あるいは踊る人の身体が美しいと思うことと同様、愛し合う二人の身体が本当に美しいと思うだけです。もちろん何を美と感じるかは主観的な問題で、必ずしも皆でシェアできるわけではない。どんな撮影法が正しいかは、現場で本能的に見つけるしかありません」

そのように見出されたのであろう本作の撮影法で際立つのは、極端なクロースアップの多用なのだが……。

「実は撮影に臨む前に私と撮影監督は、前作より引きのショットを多くしようと誓いを立てました。これまでとは違う被写体との距離を創出し、マニエリズムに陥ることを回避したかったのです。ところが、撮影開始から数日後には疲労を覚えた。美しいカットも撮れましたが、私たちはそこに何の思い入れも感じられない。カメラを引いて距離をおくと、俳優たちの熱意が少しレベルダウンしてしまうように感じられ、結局、誓いは破られたのです(笑)」



映画『アデル、ブルーは熱い色』



監督・脚本:アブデラティフ・ケシシュ
原作:ジュリー・マロ「ブルーは熱い色」(DU BOOKS より発売予定)
出演:レア・セドゥ/アデル・エグザルコプロス/サリム・ケシゥシュ/モナ・ヴァルルラヴェン/ジェレミー・ラユルト/他
配給:コムストック・グループ/配給協力:キノフィルムズ(2013年 フランス)
© 2013- WILD BUNCH - QUAT’S SOUS FILMS – FRANCE 2 CINEMA – SCOPE PICTURES – RTBF (Télévision belge) - VERTIGO FILMS

◎4/5(土) より、新宿バルト9、Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー

http://adele-blue.com